LOGIN「本当に
「黒幕がいると思っているのでしょう。親王か
内裏に住んでいない親王は母方の祖父母と暮らしていることが多いし、親王の祖父は大抵は大臣か元大臣だ。
大臣は広い邸に住んでいる上に別邸も持っている。 盗賊が家人に知られずに出入りすることも可能だし、検非違使に調べられる心配もない。「お前、意外と
「おそらく貴晴の予想通りだと思われているようだ」
祖父が答える。
そう思っているのは祖父ではないのだ。
『誰が』とは言わなかったが、祖父には弾正台を勝手に決める権限などないのだから当然だ。本来なら親王がなる弾正台を祖父を通じて打診してきたのも貴晴の出自を知っているからだろう。
となると祖父に話を持ち掛けてきたのはおそらく……。
桜は満開だから適当に花の歌を詠めばいいのかもしれないが、それだと当たり障りのない歌になってしまう。
会場(の近く)から見えたものを詠み込んだ方がいいはずだ。「
〝届かめと なげきを空に……〟
「
さすがに今日の歌会の歌で〝墨染めの〟はダメよね……。
墨染めというのは喪に服しているという意味である。
さっきの方は親しい方を亡くしたのかしら……。
そう思った時、牛車の前方が上がった。
牛に車をでも、まだお姉様が乗ってないのに……。
前の御簾から外を覗こうとしたとき、
「この車なら金になりそうだな」 「牛も元気で毛並みが良いから高く売れるぞ」 と言う声が聞こえてきた。慌てて音を立てないようにしながら御簾の隙間から外を覗く。
と、盗賊……。
織子は
どうしよう……。
このままではどこかへ連れていかれてしまう。
織子が乗っていることには気付いていないようだが――。飛び降りることは出来ない。
牛車というのは車輪が大きい分、車高も高い。そのため地面から後ろの御簾から覗くと寺からどんどん離れていく。
このままではどこかに連れ去られてしまう。 「捕まえるのが検非違使という事は私はそれはそうだ。
邸に踏み込んで捜索する権限を持っている検非違使ですら入れないような公卿や親王の邸をそう簡単に調べられるわけがない。貴晴には手先として使える郎党もいない。
今から雇うことは出来るがすぐに雇えるものなど素性の怪しい者ばかりだから信用出来ない。ツテもないから怪しい公卿がいないか聞くことも出来ない。
「貴晴一人では手が回らないだろう」
祖父はそう言うと隆亮に顔を向けて、 「そういう訳なので貴晴の手伝いを頼みたい」 と言った。「
「まぁ、それくらいなら……」
「お前と一緒に出掛ける時は確かに物忌みを仕事を休む口実にする者は多いらしいが……。
邸から見た方角の
「隆亮殿は右大将の
随身というのは護衛のことだが私的に雇っているのではなく、近衛府から派遣されるのだ警護の者なのだ。
そして隆亮は近衛府の役人である。「え、そうなんですか?」
隆亮が驚いたように声を上げた。 どうやら隆亮自身も知らなかったらしい。「無論、実際は貴晴の手伝いだ」
祖父が言った。 「もしどこかへ行くことになったら物忌み……」 「そんなことをしなくても右大将に話を通してある」 祖父が隆亮の言葉を遮って言った。 随身の仕事は警護だが、護衛している相手の
悪名と言うべきか……。
文を届けるように頼まれたことにすれば右大将の側にいなくても怪しまれないだろう。
しょっちゅう女に文を出してるだろうしな……。
話を通したのは祖父ではなく弾正台の話を持ち掛けてきた『誰か』だろう。
おそらく帝か上皇……。
貴晴は溜息を
一生関わりたくないと思っていたのに……。
「じゃあ、早速行こう……」
何故か隆亮の方が乗り気で立ち上がった。「隆亮、すまんが先に行っててくれるか」
「分かった」 隆亮はそう言うと出ていった。貴晴が祖父に向き直る。
「隆亮にはどこまで話してあるんですか?」
貴晴が訊ねると、 「私がお前を弾正台に推挙したと言うことだけだ」 祖父が答えた。「祖父上から話を持ち掛けたのですか!?」
貴晴が気色ばむと、 「隆亮殿にはそう話してあると言うだけだ」 祖父が「落ち着け」というように答える。「では祖父上は話を持ち掛けられたのですね。どなたにですか」
「それが関係あるのか?」 「雇い主を知らずに働くことは出来ないでしょう」 貴晴が答えた。「お前が正式に弾正台になると決まったら教える」
祖父の答えに貴晴は引き下がるしかなかった。 身分の高い者を調べて、場合によっては摘発するかもしれないのだから
邸を出ると牛車の前で隆亮が待っていた。
貴晴が隆亮に続いて牛車に乗ろうとした時、
「誰か!」 女性の叫び声が聞こえてきた。
牛車の横を歩いていた男が驚いたように身体の向きを変えたが、別の男が、
「構わねぇ、このまま行くぞ!」 と声を掛ける。 どちらも牛車を盗もうとしているのか……!
「おい、お前ら!」
男達は貴晴が一人と見て取るとこちらに向かってこようとした。
貴族一人、どうということはないと思ったのだろう。 だが、貴晴の後ろから
貴晴は牛車の横で足を止めたが、
「待て!」 従者達は盗賊達を追い掛けていく。
「大丈夫ですか?」
貴晴はそう声を掛けてから御簾の下に見えている裾に気付いた。 桜の
さっき管大納言の牛車の御簾から見えていた裾と同じ色の
管大納言の大姫なのか……?
貴晴はとっさに、
「花散らす 風はあらしと 思ふれど 過ぎ去りゆけば 心やすらへと」 と詠じた。織子は車の中で歌を聞いてハッとした。
さっきの人……!?
「風の
やはりさっきの……!
貴晴と織子が互いになんと言えばいいのか言葉を探している時、大納言家の随身と
「助かりました」
随身の一人が貴晴達に礼を言った。「どういう事だ! 何故姫から離れた!」
隆亮が叱責する。そう言えば隆亮は随身達の上司か……。
「そ、それは……」
随身達が困ったように顔を見合わせると、 「あ、それは私が用を頼んだので……」 車の中から大姫が答えた。「あっ……!」 男性の顔を見た織子は声を上げた。「え?」 貴晴は女性の驚いたような声に思わず後ろを振り返った。 また誰かが襲い掛かってきたのかと思ったのだ。 だが辺りに視線を走らせても不審な者は誰もいない。「あの、この前の検非違使の……」 女性の言葉に貴晴は首を傾げる。 「いえ、私は検非違使ではありませんが……」 「では狩衣のお袖……」 「つつじの君!?」 貴晴が驚いて声を上げる。 「え……? つつじ……?」 織子が戸惑う。 お互いの話が噛み合ってない……。 人違い……? 貴晴と織子は黙り込んだ。「ええと、なぜ検非違使だと思われたのか分かりませんが……」 「義母が検非違使の方は裏地が黄色だと……」 「ああ、なるほど」 そういえば検非違使も五位の弾正台も裏地が黄色だ。 そのためか祖父が送ってきた狩衣の裏地が黄色だった。 だが弾正台なのは秘密だし、かといって検非違使だと偽るわけにも……。「ええと……あの時、つつじの襲を着ていらした姫君ですか?」 貴晴は女性の言葉には答えずに訊ねた。 「つつじの襲? そういえば五月頃でしたね」 織子が曖昧に答える。 あのとき何を着ていたか覚えていないが、あの頃ならつつじの襲を着ていたかもしれない。 この答えではこの姫がつつじの君なのか分からない。 貴晴はどう考えればいいか分からず答えに詰まった。 狩衣の袖の裏地の色を知っているならつつじの君だと思うが……。 貴晴が答えあぐねていると、 「若様……」 由太の呼ぶ声が聞こえた。「姫様、寺に向かいます」 牛飼童も車の中に声を掛けた。牛が歩き始める。 「あ……」 貴晴が見ている間に牛車が離れていく。 御簾の隙間から見える男性が遠ざかる。 またお名前も聞けないまま……。
「そういうことなら……お前の邸に滞在させてくれないか?」 隆亮が言った。「石見とどう繋がるんだ」 貴晴が突っ込む。「明日から検非違使庁の方角が天一神で方塞りになるんだ。それと内裏の方角には金神が」「天一神はともかく、金神て……一年もうちにいる気か!」 方塞り、または方忌みというのは神が滞在している方角を避けることである。 都には様々な神がいて、それぞれが動き回っているために方塞りの方角は日によって変わるのだ。 これは具注暦と言われる暦に書かれていた。 吉凶や運勢なども書かれているので貴族達は皆これを見てその日の行動を判断していたのだ。ついでに日記もこれに書き込んでいた。 天一神は五日から六日毎に移動するが金神は一年間おなじ方角に留まる。「明後日には妻の家に行くよ。妻の家も右大臣家からだと王神がいて方塞りだから」「まぁそういうことなら」 方塞りの方角へ行く場合には別の方角の邸に泊まる必要がある。 方違えというものだ。 互いに泊まり合うものだから方違えで泊まりに来た客をもてなす必要はないのだが、やはり何もしないというわけにはいかない。 隆亮は右大臣の息子だし……。 何より随筆に『あそこのうちは方違えで泊まった時にご馳走を出してくれなくてがっかりした』などと書かれて回し読みされても困る。 それはともかく、隆亮が検非違使庁の知り合いに石見と会う段取りを付けてくれることになった。「多田? ああ、卿が仰っていた……」 石見が言った。『卿』というのは(今の場合は)貴晴の祖父のことである。 貴晴の父は木っ端役人だが祖父は正三位だから公卿なのだ。 隆亮のお陰でようやく検非違使の府生の石見に会えた。「それで聞き
〝躑躅花 匂へる君を 我想ひ 襲を涙で くれなゐに染む〟「今は秋だぞ」 隆亮が貴晴の机の上に置いてあった紙を見て言った。 「だから出してないだろ」 「そうか、じゃあ来年……」 「誰だか分からないんだ」 「え、管大納言の大姫じゃないのか?」 隆亮の問いに貴晴は以前会ったつつじの君の話をした。「他の姫に詠んだ歌を送るわけにはいかないだろ」 貴晴の言葉に、 「気付かれなきゃ大丈夫だろ」 隆亮が言った。「お前っ!? 他の姫に詠んだ歌を別の姫に贈ったことがあるのか!?」 「お前と一緒にするな」 「私は贈ってないぞ……まだ」 実は少し手直しして贈ろうか迷ったのは黙っていた。「私は必要もないのに歌を詠んだりしないんだよ」 「お前、ホントに出世する気ないんだな」 貴晴は呆れた。 以前も一緒に出家しようなどと言っていたが本気だったのか……? 歌が必要なのは恋愛だけではない。 明けましておめでとうも、誕生日おめでとうも、出産のお祝いも長寿のお祝いも旅立ちの見送りもお悔やみも、なんなら宴でも歌を詠むものなのだ。 嫌がらせをされて歌でやり込めたという話にも事欠かない。 それくらい歌はよく詠む。「しっかし、お前、全然女嫌いじゃないだろ。女嫌いなんてどっから出てきた」 隆亮が言った。 「女は信用ならない」 「男はなるとでも? 乳母子が忠実だなんてのは御伽話だぞ」 隆亮はそう言ってからいつも一緒にいる五郎を指した。「こいつは私の乳母子にしてはふけてると思ったことはないか?」 「おい、試されてるぞ」 貴晴が五郎に言った。 「私は乳母子ではありません」 五郎が否定する。 そうだったのか……。「二年前、お前と初めて会った時のことを覚えてるか?」 貴晴が隆亮に言った。
左右から男達が同時に斬り掛かってくる。 貴晴は左の男に向けて扇を投げ付けた。 顔面にもろに扇を受けた左の男が一瞬怯んで足が止まる。 その隙に右の男の方に踏み込むと片手だけで太刀を突き出す。 片手の分だけ伸びた切っ先が男の喉を斬った。 男が血を吹き出しながら倒れる。 貴晴は反転すると斬り掛かってきた左の男の振り下ろした刀を際どいところで避けて太刀を横に払う。 太刀の切っ先が男の腹を割く。「ーーーーー!」 男が叫びながら地面に転がる。 周囲で貴晴の郎党と男達の乱闘が始まっていた。 由太が郎党達を連れて駆け付けてきてくれたのだ。 そのとき、目の隅に由太に斬り掛かっていく男が見えた。 由太は目の前の敵を相手にするので手一杯だ。 貴晴は袖の飾りを引きちぎると敵に投げ付けた。 顔に飾りが当たった男が一瞬、怯む。 由太は目の前の男を斬り捨てると貴晴が飾りを投げ付けた敵の懐に飛び込み腹に太刀を突き立てた。 貴晴は背後に目をやって女性が無事なのを確かめた。 女性達と男達の様子を見る限り彼女達はどこからか連れてこられたようだ。 だとすると近くに群盗の塒があるのか……!? この連中が〝鬼〟にしろ別の群盗にしろ、塒を見付けられれば官位を上げてもらう理由になるはずだ。 官位が上がれば管大納言の大姫からの返事も……。 貴晴は、出来れば一人くらいは生け捕りにしたいと思いながらも機会が掴めないまま次々と賊を斬り捨てていった。 織子は下を向いて目を瞑りながら周りから聞こえてくる男の叫び声に手で耳を塞いでいた。 貴晴は際どいところで敵の刀を避ける。 切っ先が肩を掠めた。 袖が切れて手首の辺りまで落ちてくる。 狩衣の袖は肩の部分しか縫い付けられていないので、そこの糸が切れると落
「夕辺、随身として右大将の供で出掛けたんだ――」 そう言って説明してくれたところによると、隆亮は随身として右大将について出掛けたらしい。「そこを群盗に襲撃されたんだ」 隆亮が言った。 「右大将を狙ったのか?」 「いや、右大将が通ってる姫だ」 ちょうど群盗が邸に襲撃を掛けたところに右大将が到着したため戦闘になったらしい。「姫や右大将は無事だったのか?」 貴晴が訊ねると、 「随身が何人かケガ人したがな。それより、お前を呼んだのは逃げ遅れた群盗を捕まえたからなんだ」 隆亮が答えた。「ホントか!?」 「ああ。で、話によると内大臣の姫を狙ったのも、そいつららしいんだ」 「それで? 塒は聞き出せたのか?」 貴晴が訊ねた。 聞き出したのならとっくに検非違使が乗り込んで捕まえているかもしれない。 そうなると貴晴のする事はなくなる。 群盗は〝鬼〟の他にもいることはいるが――掃いて捨てるほど。「連中が言うには誰かに雇われたんじゃないらしい」 「嘘じゃないのか?」 邸に押し入るような連中が素直に話すとは思えない。「検非違使がそう言ってたんだ」 隆亮はそう言ってから貴晴が疑わしそうな表情をしているのを見て、 「検非違使っていうのは取り調べで拷問もするんだ」 と付け加えた。 「検非違使の拷問って相当だぞ。検非違使にならなくて良かったって思うくらいには……」 「そうなのか」 貴晴はようやく納得して頷いた。 貴族というと大人しくて気が弱いと思われがちだが実際はそうでもない。 内裏で掴み合いの乱闘をすることもあるくらいである。 当然、内裏の外では武器を振り回すこともある。 穢れを受けるとしばらく参内出来なくなるので殺しは郎党にやらせることが多いが。 貴晴も襲撃されたら普通に斬り殺すし、それは隆亮も同じである。 都というのは各地から食い詰め者が流れ込んで
「まぁ左大臣も姫を春宮の妃にしたいらしいし、管大納言の大姫も……」 隆亮はそこまで言って慌てて口を噤んだ。 そう言えばそうだった……。 帝の行幸の時、わざわざ帝や春宮に聞こえるところで歌を詠じたのだ。 大姫は妃になりたいと思っていると思って間違いないだろう。 貴晴は溜息を吐いた。「返事はまだ来ないのか?」 隆亮が訊ねる。 「ああ」 「ちゃんと花を付けたり良い紙を選んだりしてるか? 歌さえ贈ればいいって訳じゃないぞ」 「それは由太に叱られたから気を付けている。だが、それでも返事が来ないんだ」 貴晴はそう答えた。「念のために言っておくが返事が貰えたとしても夜を共にするまでは冷淡だからな。落ち込んで出家したりするなよ」 「するか」 とは答えたものの、念押ししてもらっていなければ、うっかりして出家してしまっていたかもしれない。 返事が貰えたらの話だけどな……。 官職の(書いて)ない従五位下では大納言の姫には相手にしてもらえそうにない。 やはり官位だけでももっと上げてからでなければ話にならないようだ。 とはいえ、何もしていないのに官位を上げてもらうのも難しいだろう。 もう少し郎党の人数を増やして捜索範囲を広げるしかないか……。 「藤が枝を 宿にせむとて ほととぎす 今はいずこで 汝は鳴くやと」 織子は歌を詠んで塀の方に目を向けた。 誰もいない。 文を届けに来てくれないと歌も伝えようがないのよね……。 織子が再び詠じようとした時、 「姫様、北の方様がお呼びです」 侍女が呼びに来た。「ありがとう」 織子はそう言ってからもう一度塀に視線を向ける。 戻ってくるまでの間に多田様のお使者が来ないといいけど……。 やはり使者に返歌を聞かせるというのは協力してくれる人がいないと難しそうだ。 織子は渋々北の対に